城下町散策1
城下町散策2
徳川家康が名古屋台地で名古屋城を築き、清洲越しで城下町を造成しました。藩政時代に上宿・幅下と呼ばれたこの一帯は本来の城下町として、旧地名も由緒ある町名が多く残り、藩の御用達商人も多く住み、堀川沿いには藩や商家の土蔵が立ち並び、当時の賑わいと繁栄のあとが多くしのばれるところです。

美濃路散策1
美濃路散策2
初期の美濃路は、現在より北寄りにあり、慶長7年(1602)以降、大阪城攻略のため整備されてきた美濃路筋に、かって旧街道筋にあった集落が南に移り、現在の美濃路が形成された。昔の街道をしのばれる格子戸や伝統を受け継ぐ宮大工、和凧の店などが見られます。この地方特有の屋根神様も多く残っている。

名古屋城北西散策 お城から見て北西に広がり、名古屋城との関係の深い史跡が多く残ります。新しい魅力である堀川緑道や城北緑道の花木に親しむというのも特色で、美濃路とも接続している。

平田砦散策 織田信長が清洲に城を構えた頃の平田は、豊かな農村地帯で、清洲のすぐ東に位置するところから、駿河からの防衛のため、ここに平田砦が築かれた。

大乃伎蛇池散策 有史以来の度々の庄内川の氾濫との戦いの跡がしのばれる地域です。蛇池は織田信長の大蛇退治の伝説を残します。

小田井散策1
小田井散策2
琵琶島から庄内川の右岸沿いに北上する岩倉街道と、かつての庄内川御用留であった現在の庄内緑地公園の周辺は名塚、新福寺、堀越の田地で、上小田井、中小田井と共に、最も多くの社寺がある。枇杷島の地名伝承も見逃せません。

稲生古戦場散策 織田信長は、その弟・信行の家老・柴田勝家、林美作などと、現在の名塚町、稲生町一帯で戦った。信長がこの稲生ヶ原の合戦に勝利し、尾張統一に大きく踏み出した。桶狭間の合戦の4年前のことである。西春、岩倉方面から熱田へ行く古道で、庄内川を渡し船で渡った。