稲生の渡しからすぐの大乃伎神社は名古屋城の北方鎮護の社で、古から信仰が厚く、太古から度重なる庄内川の氾濫と住民との戦いが随所でしのばれる。
大乃伎神社
祭神、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大御神、須佐乃男尊、月読尊、蛭子尊、創始年代は詳らかでないが「延喜式 神明帳」に大乃木神社と登載され「尾張国神明帳」にも従三位大乃木天神と記されている、安永8年(1779年)庄内川氾濫し大洪水のため文庫流失して現在、確固たる由緒を知る由もなく、天和2年(1682年)5代将軍綱吉に仕えた春日井郡の城主、塙宗悦の寄進により修復せりと言う、明治5年5月郷社に列せられとある、明治40年10月26日指定社となる。大正10年5月31日市場社と児宮社と天神社と津島社を境内神社として合祀した、昭和11年5月15日社殿を改築する。
陽岳寺
創建は足利時代。昔、不心得者が御本尊を盗み出したが、歩く事ができず背負ったまま堤防下に倒れていた。以後「足止不動尊」といわれている。
福昌寺
天正4年(1576)大野木城主であった塙右近の開基。鐘楼門の柱は当時の城門である。信長が清洲城に祀った金城秋葉三尺房が祀られている。

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