かつての庄内川御用留であった現在の庄内緑地の周辺を回るコースです。この緑地帯は名塚、新福寺、堀越の田地で、上小田井、中小田井と共に、最も多くの社寺がある素晴らしいコースです。コースの一部は、西枇杷島町地内をも通ります。
善光寺別院願王寺
創建は天長6年(829)とされる。その後、小田井城の鬼門避けの祈願所となった。せき、ぜんそくに効能あるへちま薬師は有名。本寺の鎮守社として白山祠がある。
東雲寺
明応元年(1492)小田井城主、織田丹波守平常寛の開基。弘法堂の諸仏は犬山城主より拝領したもの。
長善寺
佐々成政、美濃国九条城主織田信盛の菩提寺。信盛の後裔で江戸時代の茶人・高田太郎庵の墓がある。昭和44年に太郎庵茶室は覚王山日泰寺に移築されている。また、太郎庵椿が熱田神宮境内にある
法源寺
諏訪社
星神社
大国主命、天香々背男、牽牛織女を合祀し、坂庭神社として延喜式内社になっている。8月7日の七夕祭は特別由緒ある祭礼で、昔は酒を祭庭にそそいだことから坂庭となり、坂井戸という地名の由来になったといわれる。樹盛旺盛なムクノキが庄内川ぞいにこんもり茂っている。
 天香香背男(アマノカカセオ)とは、日本書紀に出てくる星の神様で天孫降臨のさい、最後まで反抗した者として登場します。弥生時代の環壕集落である朝日遺跡はすぐそばである。星を信仰する尾張氏と大和勢力の間に何等かの抗争が有ったのであろう。
 「日本書紀」。星の神。天孫が葦原中国を平定することを嫌った。またの名を天香香背男。"香香"は"カカ"で「輝く」の意。"背男"は"兄男"の意とされる。「旧事本紀」の「天神本紀」では神武以前に天降ったニギハヤヒノミコトの供奉者に「天背男命」の名がある。おそらくはこの神と同一神であろう。ヤマト朝廷に抵抗する立場のこの神はいつしか「悪神」とされている。
 一書〔第二〕にいう。天神が経津主神・武甕槌神を遣わされて、葦原中国を平定させられた。 ときに二柱の神がいわれるのに、「天に悪い神がいます。名を天津甕星といいます。 またの名は天香香背男です。どうかまずこの神を除いて、それから降って、 葦原中国を平げさせて頂きたい」と。このとき甕星を征する斎主をする主を 斎の大人といった。この神はいま東国の楫取(香取)の地においでになる。

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