徳川家康が名古屋台地で大坂方に対し城を築き、いわゆる清須越しで、城下町を造成しました。藩政時代に上宿・幅下と呼ばれたこの一帯は本来の城下町として、旧町名も由緒ある町名が多く残されていました。藩の御用達商人も多く住み、堀川周辺には藩や商家の土蔵が立ち並び江戸時代の城下町として当時の賑わいと繁栄の後がしのばれるところです。
鴨塚
法蔵寺境内にあって、貞享元年(1684)に俳人芭蕉がこの辺り田中の里で詠んだ「刈跡や早稲かたかたの鴫の声」の句が刻してある。初代の句碑は天明7年(1787)建立(戦災で壊滅)。現在あるのは安政3年(1856)冬、醒ホ三四らの発起により建立された。昭和52年市指定文化財史跡に℃w定された。B
菊水寺
江戸時代の創建。昔、このあたりに泉があって「菊の井」と呼ばれ親しまれていた。菊井町の町名の由来である。
金比羅神社と観音堂
祭神は大国主命で、寛政9年(1797)に四国琴平より勧請した。文政年間(1818〜30)このあたりに悪疫が流行した時、当社の信仰が悪病除けになったといわれている。境内社に稲荷社があり、また、観音堂、神楽殿および十一面観音堂がある。
多賀宮
伊邪那岐と伊邪那美を祀り、延命と縁結びの神。
圓頓寺と圓頓寺商店街
日蓮宗。承久3年(1654)普敬院日言上人が創建し、享保9年(1724)、今の地に移った。本堂は名古屋城天守閣使用の余材を拝領して建てたといわれている。本堂脇の堂には藩祖義直の側室が寄進した鬼子母神像が安置され、他に、寺宝として開基日言木像、賀茂競馬図六曲屏風などがある。

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