小田井城趾(西琵琶島町)
足利幕府の尾張守護・斯波氏の家臣・織田大和守敏定が守護代として尾張四郡を統治し、数代にわたって居城したが、秀吉の時代に廃城にさせられた。 |
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西方寺
文暦2年(1235)鎌倉幕府の念仏者取り締まりの時、親鸞が関東から帰京する折に当寺にお迎えして真宗に改宗。以前は小田井城の前にあったが、小田井城築城にさいし現在地に移転。明治24年の濃尾大地震で山門を残して倒壊したが再建された。 |
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小田井神明社:加藤清正を祀る |
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岩倉街道
琵琶島から庄内川の右岸沿いに北上し、下小田井・中小田井・上小田井にでて、稲生街道と合流して岩倉に達する。岩倉方面の野菜などを琵琶島の青物市場(江戸時代は下小田井村)へ搬送する道として賑わった。 |
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五所社
天文14年(1545)織田藤左衛門寛経が修復遷宮をしている。中小田井の鎮守。 |
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