美濃路は江川町通りを西へ東枇杷島町を経て通り抜けている。街道筋には白山神社(かって神社の西側を流れていた笈瀬川に架かる権現橋の欄干が残っている)八坂神社などあり,またこの地方に多い屋根神様(屋根に神を祭り、信仰した)も街道筋にみられ、僅かですが面影の残る町並みである。
宝周寺:栄生村から移転 林貞寺:境内に「おもかる地蔵」がある
海福寺:藩粗義直は鷹狩りのおり、当寺で休憩した
白山神社
俗に榎権現ともいう。「一羽の雉子が飛来し、この地に落ちて死んだ。村人が哀れんで埋めた場所から榎の種が芽をふき、成長しやがてこの神社の神木として崇められるようになった。」美濃路を通る大名は、必ず本社に参拝したといわれる。また、信長が桶狭間合戦の折も、戦勝祈願に太刀一口を寄贈したといわれる。
八坂神社
もとは午頭天王宮で、北側の一つ池の中島にあった。大ちょうちんを川に流す「お船流し」の例大祭が残っている。
八幡社
鷹八幡と呼ばれ、鷹の諸病に霊験あらたかで、鷹を飼っている人の信仰は深かった。
西源寺
美濃路が開設以降、万治元年(1658)現地に移ったとされる。水野太郎左衛門の喚鏡がある。
中島黒體龍王大神社
慶安年間(1648)から庄内川の中島に龍神を祀る小祠があった。後年、御獄の行者が、大雨で橋が流された困っていた時、金色の大蛇が現れ、行者を導き易々と対岸に渡した。ことが縁起である。

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