瀬古・善光寺街道 名古屋城下から中山道に通じる道は、志水口を出て中山道へ至る木曽街道(本街道)は藩が作った官道で武士はこちらの道を利用していました、現在の国道41号線に相当します。一方、大曽根口を経て中山道へ至るのが善光寺街道または下(した)街道と呼ばれる道で現在の国道19号線に当たります。善光寺街道は自由に往来ができ中山道に至る行程が平坦で短いので庶民はこちらの道を利用していました。

守山くづれ探訪 享禄・天文年間(1530年代)の頃、東の今川氏、西の織田氏に挟まれた三河の松平氏は勢力拡張を計っていました。守山城内で夜間陣中の馬の綱が切れ暴れ出すという騒動が起こり、この騒動を聞きつけ一人の家臣が何故か清康に斬りつけ清康は大手門付近で絶命してしまいました。後世これを「守山崩れ」と言います。大将を失った松平軍は三河に引き返しました。

大永寺・金屋坊 古社・川島神社、山田二郎重忠の菩提寺・大永寺、朝日文左エ門もよく遊んだ金屋坊を散策します。

小幡散策 小幡城は、大永2(1521)年、織田敏信、信安の臣、岡田与七郎重篤が築城したと言われていますが一説にはその子、与九郎重頼が築城したとも言われています。東西南の三方に二重の堀を巡らし守山城、そして龍泉寺城と同じ様に庄内川河岸段丘の縁に立ち前面は小牧山を始め犬山あたりまで遙か濃尾平野を見渡せる天然の要害のような所に位置しています。

大森散策 喜多山の長塚、茶臼山の古墳を見て、大森には尾張徳川ゆかりの大森寺や黄金伝説の法輪寺、八幡神社があります。

竜泉寺 松洞山と号し、伝教大師の創建という。熱田神宮の奥の院と称する名刹で、尾 張四観音の一つである。仁王門、木像地蔵菩薩立像は重要文化財。また円空作 の馬頭観音をはじめ仏教数百体を有する。またここの節分には、春駒を門前で 売る店が出る。

上志段味古墳群 守山区には市内の古墳の約6割があり、区東北端の東谷山(198 m)やその山麓に数多く見ることができます。市内で最も高い東谷山フルーツパークの西側の東谷山へ道が続いています。山頂には尾張戸神社が祭られており、社殿は古墳の上に建っています。