下街道(善光寺街道)は、古代史に登場する日本武尊にまつわる歴史の道、文化の道と昨今注目されるようになりました。ところで、この道は、江戸時代から明治にかけて、東海道と中山道の脇往還(近道)として、交通交易の道であったと共に、善光寺参り、御岳参りの信仰の道でもにぎわいました。
石山寺
天台宗西天山妙行院と号す。寛中年間、道円の開基。鎌倉初期の木造の釈迦・薬師座像があり秀逸。
尾張藩御畳奉行・朝日文左衛門の日記「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき」にも度々記載されています。彼の屋敷から同地まで4〜5km程。善光寺街道(下街道)を利用し、山田辺りで矢田川を渡河、守山瀬古地内、石山寺に参詣し、右折すれば金屋坊。直進すれば文左衛門の釣り・鮎うちのホームグランド勝川・味鋺。小幡・龍泉寺・大森へは瀬戸街道を通ったのでしょうか。
高牟神社(瀬古天神)
祭神 高皇産霊命 素盞鳴命 伊邪諾命大山祗命 天照大御神 菊理媛命
由緒 創建は養老元年(717)11月15日で高見と言う称号をいただいた。 本殿は昌泰三年(900)9月再建あり。
「延喜式」に春日部高牟神社、「本国帳」には従3位高牟天神、「尾張本国内神明帳」に従3位上高見天神と記るす古社。物部氏の勢力下にあったのであろう。同じ名の神社が千種区池下にある。現在、熱田神宮所蔵の兵庫鎖大刀はこの神社の神宝であった。
間黒神社:幸心の鎮守
幸心は昔、猿田彦神がこの地の土をもって鼎や竃をつくり幸神と呼ばれ地名となった。瀬戸市資料にも山田郡瀬古村より焼き物つくりが伝わるとある。境内は御岳信仰の名残りを残す。