川嶋神社
祭神:「伊邪那美命、大苫邊命、譽田別天皇」
由来:平城天皇2年(807年)尾張国の連沖津が創建した。
神社の明細帳に「この社は日本彦国押入天皇(平城天皇)2年(大同2年807)尾張連沖津が創建したと伝える。延喜式内尾張の国山田郡従3位川島天神と言うのはこの神社である。」と天野信景の「本国神名帳」にも川島神社は春日井郡川村氏神熊野宮である。小田切春江の「尾張名所図絵」も川島の神社と記す。明治5年5月、村社に列し、同15年5月4日、今のように社号を改めた。同40年10月26日供進指定社となり、同44年4月17日字柳原の八幡社と字山際の八剣社又字鴻巣の山神社を合祀した。昭和44年5月3日社殿及び社務所を造営する。同年9月18日8等級社に昇級した。棟札は江戸初期から現在まで20余社蔵する。
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大永寺(旧寿昌院)
建久八年(1197)山田二郎重忠の菩提を弔うために建てられた。戦国地代に焼失。子孫・重頼が再興するが濃尾地震で倒壊。明治28年に再興。末寺十数寺を有する古刹である。 |
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金屋坊神明社
長母寺の東洞に鋳物師の村があり、金谷と呼ぶ。近世、今の地に一宇を立てこれを金谷坊と呼び地名となる。 |
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