尾張国は八つの郡に分かれ、北区はそのうち山田郡にふくまれていた。山田郡の範囲は、東は三国山、西は名古屋市西区、南は境川、北は玉野川までであった。承久の乱で皇軍に加わり活躍した楠正成と並び称される英雄・山田次郎重忠の本拠地でもある。
山田天満宮
祭神は菅原道真。社伝によれば、尾張の二代藩主光友が寛文12年(1672)藩の学問祈願所ならびに名古屋城鬼門の守護神として、太宰府より分霊して創建したという。矢田川の「天神橋」は本社名から名付けられた。昭和58年、金(こがね)神社(大将の宮)を合祀した
時節柄、受験生の参拝が見られた。
金(こがね)神社
従三位金(おかね)神社のことで、建武以来、神宮寺であった今の感王寺の隆盛にともない消滅。見兼ねた山田天満宮に合祀された。

羊神社(ひつじ)
「火之迦具土神 配 天照大神」創立年月日は不詳なれど、第61代醍醐天皇の御代にまとめられた延喜式神名帳に、尾張の国山田郡羊神社と記され、本国帳に従三位羊天神とある古社である。神社に保存されている棟札によれば、本殿は慶長10年に再建されたとある。その後天保9年尾張藩主徳川斉温公の時代に改築され今日に至っている。
 羊とは、新羅系の帰化人といわれる。和銅四年(711)上野国の片岡、緑野、甘良の三郡のうち300戸を羊に給し多胡郡とした。(群馬県多野郡吉井町の多胡碑より)羊が奈良の都に上る時立ち寄る舘がこの地にあったと伝えられる。
尾張国地名考「往昔、火辻村といひしを後世火の字を忌て、単、辻村と書といふ。」毎年一月十五日は境内で左儀長(どんどやき)が行われる。
上飯田六所宮:熱心に参拝する人がいました。

下飯田六所社

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