日本武尊の東征物語では、焼津で焼き討ちにあった時に天群雲御剣で草を薙いで窮地を脱したという有名な物語があります。〈天群雲御剣は、草を薙ぎって災難を逃れた時、草薙の剣と追銘されました〉。東征は窮地の連続でした。走水神の折には妻を日本武尊を慕ってついてきた弟橘比売(オトタチバナヒメ)も失ってしまいます。愛する妻である弟橘比売が、その命を犠牲としたとき「あづまはや」と心がはちきれんばかりに泣き叫びました。そこから、東国を、【あづま】と呼ぶようになりました。
古事記では、日本武尊は草薙剣を受け取った後、尾張国へ行き尾張国造の祖ミヤズヒメの家に滞在した。このことは、当時すでに尾張王朝が成立しており、日本武尊は尾張氏に入婿し、尾張勢力を利用して即位を宣言した可能性が有る。熱田神宮の縁起では、記紀には出てこないミヤズヒメの兄である「武稲種」(たけいなだね)という尾張氏の祖先がタケルの東国征伐に随行している。姫とは東国平定の後、尾張に戻り結婚し長く滞在した。 その後、不思議なことに大切な草薙剣をミヤズヒメのもとにおいて、近江・伊吹山の神を鎮めに行き、敗北して命を落す。