関ヶ原の戦いで天下の実権を握った徳川家康が、海陸の連絡に便利な那古野台地に築城工事を始めたのは、慶長15年(1610)のことでした。これに伴って清洲の士民が移り住み(清洲越し)、市街地ができあがりました。以来、徳川御三家筆頭の城下町として尾張藩の中心となり、江戸・大坂・京につぐ発展をみました。
桜天神社:清洲越しでこの地に遷座
祭神は菅原道真。かつては桜の大木が群生していたので桜天神とよばれた。城下に時を告げる水野太郎左エ門作の「時の鐘」の鐘楼があったことでも名古屋人に親しまれた神社。

福生院(袋町のお聖天)
福生院というよりは、「袋町のお聖天」として知られる。お聖天は歓喜天のことで、男女和合の福神様。

聞安寺
三重県桑名、愛知県清洲を経て寛永3年(1626)この地に移った真宗大谷派の寺院。境内には吉田紹和とその子吉田紹敬の茶道顕彰碑がある。

朝日神社
 慶長16年(1600)清洲越しで、朝日村から移り、広小路神明宮として親しまれた。広小路通に面して立つ透垣は、向かい側にあった尾張藩牢屋の不浄除けの名残として珍しい。今は広小路の丸善向かい側である。

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