関ヶ原の戦いで天下の実権を握った徳川家康が、海陸の連絡に便利な那古野台地に築城工事を始めたのは、慶長15年(1610)のことでした。これに伴って清洲の士民が移り住み(清洲越し)、市街地ができあがりました。以来、徳川御三家筆頭の城下町として尾張藩の中心となり、江戸・大坂・京につぐ発展をみました。
白川公園・科学館・美術館
終戦直後は進駐軍の基地。昭和42年に開園した都市公園。園内にある科学館は天文・理工・生命館からなる科学の殿堂。美術館はエコールド・パリ、メキシコ・ルネサンス、地元作家の優れた作品を収集、展示。木陰はホームレスの基地となっている。

若宮八幡宮
もとは城内にあったが慶長15年の築城の際、現位置に遷座。社伝では文武天皇期(8世紀始め)の創建で延喜年間(10世紀始め)に再興したとある。江戸期に八幡を付し若宮八幡宮と称し、城下名古屋の総鎮守として親しまれた。名古屋三大祭の一つに数えられる例祭は神輿、山車をひき出し華麗だった。現在は、市指定文化財の福禄寿車山車1両がある。

政秀寺
信長の行状を死をもって諫めた平手政秀の菩提を弔うため、天文22年(1533)信長が小牧山南の小木村に建立。慶長15年(1610)現在地に移る。

戻る  NEXT