関ヶ原の戦いで天下の実権を握った徳川家康が、海陸の連絡に便利な那古野台地に築城工事を始めたのは、慶長15年(1610)のことでした。これに伴って清洲の士民が移り住み(清洲越し)、市街地ができあがりました。以来、徳川御三家筆頭の城下町として尾張藩の中心となり、江戸・大坂・京につぐ発展をみました。
愛知県護國神社
明明治元年の戊辰戦争戦没者を明治2年、尾張藩主徳川慶勝が奉祀したのに始まる。
那古野神社(なごやじんじゃ)
創建は延喜11年(911)。名古屋城築城後は城内の一角に鎮座することとなったため城の鎮守神、城下名古屋の氏神とされた。明治9年、現在地に移り、同32年那古野神社と改称。
尾張東照宮
元和5年、藩祖義直が父家康の霊をまつるため名古屋城内三之丸に創建。明治8年現在地に移された。本殿は県の文化財に指定されている。
金明竜神社のムクノキ
幹周り5.25m、樹高21m。名古屋一番 のムクノキの巨木。もとこの地は、尾張の俳人横井也有の出生地。
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