海が荒れたり、船に弱い人のために、陸路と川を組み合わせた佐屋街道が東海道の脇街道として作られた。佐屋道は、宮から尾頭橋、五女子、(中村区・烏森岩塚)を経て、万場で庄内川を渡り佐屋に至る道だった。往時の面影はないが、鎮守の森は健在であった。
熱田区伝馬町・東海道の道標
金山19号交差点・佐屋街道の道標
堀川・尾頭橋の風景

柳川・須佐男神社と堀川の住吉橋:橋の東には住吉神社がある。
JR尾頭橋駅前の西古渡神社
山王の神明社

笈瀬の神明社:笈瀬は御伊勢のことで、昔は伊勢神宮の御厨であった。
柳島神社

五女子(ごにょうし)の八剱社
昔、片端の里(かたはのさと:古渡)に尾張の某豪族に七人の娘があり、近郷の七ケ村に嫁を出し、その地を領有した。それより村の名を一女子(古渡)から七女子(小塚)まで変更した。八剱社の本家は熱田神宮である。
二女子(ににょうし)の熊野神社:やっぱり力石がありました。

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