寛永20年(1643)、鬼頭勘兵衛景義により西福田新田が、その後、名古屋の豪商・茶屋なども開発した広い田園のなかに干拓・開拓にかかわる、寺社などの史跡をめぐり、先人たちの苦難と郷土を愛した歴史をしのぶ。
春田野神明社
祭神は国常立命。寛永17年(1640)、鬼頭勘兵衛景義が東福田新田を開拓する際、災難が相ついだ。そこで、伊勢神宮の分霊を勧請したところ、難工事も不思議に完成したといわれる。
七反野神明社
祭神は国常立命。寛永17年(1640)、福田新田の堤防が締め切られた直後に勧請。昭和19年空襲により全焼。戦後再建された。
七反野 地蔵堂
鬼頭勘兵衛景義が東福田新田を開拓したとき、この地が、庄内川と戸田川の中間にあたり、工事犠牲者のめい福と堤防が切れないようにとの願いをこめて、ここに地蔵堂を建立したといわれる。
山神社
四国(大三島)の大山祇神社の祭神−大山積大神(天照大神の兄神)の分霊を祀る。
南陽神社
大正12年、日清戦争以来の戦死病死者を祀る。靖国神社より分霊を勧請し、当時は南陽忠魂社と称した。昭和30年現社名に変更。毎年9月26日には伊勢湾台風殉難者の慰霊祭が行われる。
鬼頭勘兵衛宅跡
愛知郡八田村の豪農鬼頭勘兵衛景義は、寛永8年(1631)から明暦3年(1657)に至る27年間、新田開発や治水事業を行なった。現在は長屋門を残すのみである。景義の墓地は中川区の空雲寺にある。

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