寛永20年(1643)、鬼頭勘兵衛景義により西福田新田が、その後、名古屋の豪商・茶屋なども開発した広い田園のなかに干拓・開拓にかかわる、寺社などの史跡をめぐり、先人たちの苦難と郷土を愛した歴史をしのぶ。
西福田五丁目神明社
西福田神明社
下中神明社
明治11年五穀豊穣村中安全を願って鎮座。大正2年造営・遷宮。伊勢湾台風により老朽化し、昭和57年に遷宮式を行なった。
浄恩寺
真宗大谷派。寛永20年(1643)(一説には享保元年(1716)とある)建立。中村区の稲葉地にある広讃寺より分寺した。
いの割神明社とお地蔵様
茶屋後神明社
延宝5年(1677)、茶屋後新田開発は茶屋長以により開発され干拓当初は長以の所有であったが、借財の返済ができず、明治初年にはすべて関戸家の所有となった。新田開発あたり、三十番神を祈願し、延宝7年(1679)、築堤成功に際し三十番神を氏神として祀る。明治初年、三十番神を移築し、伊勢神宮の分霊を勧請した。
関戸家頌徳碑
茶屋長以(長意の子)により開拓された茶屋後新田を所有していた関戸家は、低湿地のため水害が多く、対策としてひ門の改修や排水機を設置し、戦後の自作農創設制に先んじて、小作人に土地を安価で分譲した。このような温情に地元の人達が感謝の意を込めて建立した。

熱田社
祭神は、日本武尊。寛永20年(1643)、鬼頭勘兵衛景義により西福田新田が開発された。明治20年、鎮座。東ノ割の氏神である

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