達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂は中央政府による陸奥侵略・経営の記念碑で、蝦夷掃討・同化の後、坂上田村麻呂によって創建されました。
やがて安倍・清原・藤原四代と歴史はつながります。
達谷窟毘沙門堂
2003年4月26日:ようやく雨も上がり達谷窟に到着。毘沙門堂縁起いわく蝦夷の頭目、悪路王(アテルイ)、赤頭、高丸等を801年(延暦20年)に激戦の末征伐(本当は和議にかこつけただまし討ち)。戦勝は毘沙門天のご加護と感じ、京の清水の舞台作りをモデルに創建。百八体の毘沙門天を祀りました。この功績により田村麻呂は征夷大将軍の称号をえました。
初めは不気味な印象でしたが縁起を読めば、当時の最前線基地であり、先住民への慰撫・同化政策であったことが分かる。岩面大仏は剥離・崩落寸前で保存状態は最悪に見受けられるがどうでしょう。