八事山を歩こう会コース
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興正寺公園を出発点に、東は中京大学キャンパス、北はグラウンドの外周をめぐり、マンション群をながめながら峰々をまわり、公園に戻る3.5Kmのコースです。 |
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菩提樹の木
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五重塔寄りに有ります。お釈迦様がこの木の下で瞑想にふけったといわれます。 |
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街道の道標
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観音堂の階段の左下にあり、飯田街道の拡張工事のさいに移されたものです。「覚王山近道」や「あつた近道」のほか、句碑、記念碑など120本がいたる所に残されています。 |
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姿見の阿伽井戸
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阿伽とは仏様に捧げるきれいな水という意味です。この井戸に自分の姿を映して、はっきりと映れば元気な時で、ぼんやりとしていれば危ないという言い伝えがあります。現在は危険防止のためふたがしてあります。 |
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常緑林の群生
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雑木林にはアラカシ、シラカシ、サカキの高木と、アオキやカクレミノなどの低木が見られます。また、タカノツメ、コナラ、リョウブなどの、前の時代の木々がわずかに見られます。 |
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出会える野鳥たち
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自然な雑木林は野鳥にも暮らしやすいようで、40種以上の野鳥と季節ごとに出会えます。
メジロ、シジュウカラ、ヒヨドリ、コゲラ、キジバトなどは年中見られます。秋から冬にかけてはモズ、ルリビタキ、シロハラ、ツグミ、ウグイスと図鑑片手に歩きましょう。 |
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榊の群落
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神棚に捧げる木です。これほどの群生は県下でも珍しい。 |
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東山門
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東山門は名古屋城にあった出丸門(戦闘用の門)を移築したもので、弓や鉄砲が撃てる様、両側が格子になっています。坂を登りきったところからはS字の蛇腹道が続き、興正寺が軍事的性格を持っていた名残りです。当時、街道との間には1間の掘りがあり橋があった。 |
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呑海峰 |
八事山の最高峰で海抜約80mあります。大日堂のある場所で、かつては熱田や伊勢の海が一望できたそうです。 |
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大日堂 |
高さ3.6mの大仏は名古屋三大仏の一つです。 |
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名古屋城までの地下道
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大日堂から名古屋城まで地下道でつながっているという言い伝えがあります。尾張は江戸で変事があった場合の西国に対する防波堤の役割をもっています。逃げ道として、また木曽で軍勢を立て直しての戻り道として地下道が通じていたといわれます。事実、大仏の台座の礎石の中央がはめ石になっています。 |
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宝塔の干支廻り |
大日堂前広場北にあります。十二支が彫ってあり、当時の参詣者は、北に御嶽山、東に猿投の山々、南に熱田の海、西に多度の山々を眺め、自分の干支に腰掛け無病息災を願った。 |
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カンチン井戸 |
明治から大正期に名古屋の財界人が山遊びにきた時に茶会を開くために掘った井戸。 |
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九品仏(くほんぶつ) |
大日堂前広場から参道への入り口に、石でたたくと金属音のする石仏があります。両側に沢山の石仏がありますが、膝やお顔がへこんでいるのでわかります。 |
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潮の干満の石碑 |
九品仏が並ぶ参道入り口横に「釈玄郷墓」の石碑があります。この石碑の裏側に穴があいており、この穴に手をいれると水に触れることができます。舐めると塩の味がすることから、熱田の海とつながっており、潮の干満により水位が上がったり下がったりするという言い伝えがあります。 |
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女人門跡 |
東山と西山を分ける門を設け、塀と土塁をめぐらし女人禁制を守っていました。明治になり女人禁制廃止後は中門として境内の五重塔前に移されました。 |
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