東宿〜中村〜大秋には鎌倉街道の名残りがあり、江戸期以前から多くの生活が営まれた。北へ上れば清洲であり、信長もここらあたりを徘徊したに違い無い。
東宿神明社:この神社の南の道は鎌倉時代のメインロード、京都〜鎌倉を結ぶ鎌倉街道で、街道は下津(おりづ・稲沢市)から萱津(甚目寺)を経て古渡、井戸田、古鳴海、二村山(豊明市)を抜けていた。庄内川と洲をはさんだ五条川・萱津は渡船場・宿場町としてにぎわい、対岸のここらも「萱津の東宿」として宿や女郎屋および市でおおいににぎわった。この古道は「小栗街道」とも呼ばれたが、江戸期に浄瑠璃や歌舞伎で人気を集めた「小栗判官」がこの街道を舞台に語られたことによる。

諏訪八幡社:諏訪町の鎮守。玉を喰わえた狛犬がいた。
近くの大円寺が日比津城趾で、記録に残る城主は野尻掃部である。野尻氏は名字から信州野尻郷の出身で諏訪神社を勧請。
諏訪社:境内は荒れてあまり熱心ではないみたいです。

油江天神社:貞治三年(1364)「尾張国神名帳」に掲載される古社である。この「天神」は菅原道真ではなく「天津神」のことで天孫系のご先祖をいう。油江は泥江(ひじえ)の誤り伝えられたもの。祭神の少彦名命(すくなひこな)は医薬の神様で、歯痛に菜種油を供えて祈願した。
素盞男神社

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