金山は名古屋台地の最南端で、平安時代の「日本霊異記」にある道場法師ゆかりの尾張元興寺が建立された。熱田台地との接合部で、古くから街道の分岐地で熱田の宮から東海道を北上し、金山で佐屋街道と美濃街道が別れる。石の道標が残る。
杉原千畝の卒業した平和小学校もここにある。玉腰輝夫さんの「金山へ行こう」に詳しい。
闇の森八幡宮(くらがりのもり)
源為朝の創建という古社で境内には為朝の武具を埋めた鎧塚があり、うっそうとしたクスの大木が茂っています。「その昔 うえにし木々の年をへて 月さえ漏らぬ くらがりの森」とうたわれた当時の様子が窺えます。
闇がりの森は、1734年浄瑠璃名古屋心中で有名になった舞台です。
闇がりの森で1733年秋、遊女小(こ)さんと日置の畳職人喜八が心中を図りました。心中は未遂に終りましたが、当時の法では、心中未遂者は丸三日間さらし者にされ、身分も奪われることになっていました。しかし当時の尾張藩主徳川宗春は、三日間さらし者にしただけで親元に帰し、後に2人は結婚までしたという話まであります。
「さすが名君」と名古屋でこの話がもちきりになっていた時、名古屋を通りかかった、豊後節の祖、宮古路豊後掾が浄瑠璃にまとめあげたのが「名古屋心中」です。

榊の森白山社
 金山の鎮守で狛犬に古式が見られる。昔から熱田の宮の祭事のたびに榊を奉納したことよりこの名がある。北の方角から宮に参る時の祓い処で、東より詣る人は鈴御前、西は白鳥川の鳥居下、南は築地の楠木社と決まっていた。

平和小学校
杉原千畝の平和の鐘。第二次大戦の時、ナチスから迫害を受けるユダヤ人に人道的立場でパスポートを与え続けた外交官「杉原千畝」が、税務署長であった父君の転勤で当地の平和小学校を卒業した事を記念して、「平和の鐘」が校庭に設置された。

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