塩付街道
江戸中期まで星崎一帯で塩を製造。俵に詰め、馬に載せた「中馬」と呼ばれる運送業者が往来し、古出来町に集荷され、さらに信州まで運ばれた。星崎から古出来町までを塩付街道という。

当時、村上神社を南(現サブグラウンド)に下ったところに池があり迂回路は判然としない。山崎川沿い下ったものか、中根方面に寄ったものか確証がもてない。ただ落合橋東に名残りの道が確認できる。

享栄高校西の馬頭観音:街道特有の観音で道中の安全を祈った。
東栄八幡社:住宅地に鎮守の森がみずみずしい。里道の風情も残り、西側には馬頭観音まである。

塩付街道:名残りの松も枝打ちされ惨めな有り様。だが村上よりは今だに街道の風情を残している。
村上神社:おどり山古墳に造られた神社で、径40mの円墳で、クスの古木に名残りを残す。