中川運河の前身は中川と言い、名古屋城の築城には石垣の石を運ぶのに使われたそうです。名古屋港の整備とともに鉄道とつなぐ運河の構想が生まれ、1930年(昭和5年)港と笹島の貨物駅を結ぶ運河として建設された。当時は東洋一の大運河完成と新聞は報道しました。
東海橋あたりと運河神社
祭神は金比羅宮。運河神社は、上宮社と下宮社とに分かれており、この神社は下宮社である。昭和5年、中川運河が竣工したのを機に、昭和9年、町の発展と無事を祈願して勧請した。
池鯉鮒神社
江戸時代、中川橋の北方から流れてきた御札を拾い上げ、中川橋付近にあったお宮に祀ったのが、この神社の始まりである。明治40年頃現在地に移された。一説には天保4年(1833)、三河知立神社の分社として勧請したといわれている。
大光寺
真宗大谷派。大正4年頃、大手説教所として開設されたのが、当寺の始まりである。昭和24年現寺が建立された。中之島川緑地に面しており、ここにも伊勢湾台風の鎮魂碑がある。河川環境整備事業により、中之島川を埋め立て、整備された緑地である。昭和51年から整備が始まり、昭和61年に完成した。
須成・素盞鳴神社
祭神は素盞鳴命。須成町の鎮守で津島神社の分社として、正保4年(1647)、熱田新田干拓の頃に勧請した。
九番町・素盞鳴神と豊福稲荷と観音堂
洪水に備えてか、お社は二階に祀られていた。

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