港の役割を再認識するとともに、熱田前新田の干拓・開発の変遷と先人の遺徳をしのびながら、築地周辺の寺社および伊勢湾台風記念碑を散策します。
堀川河口の港新橋

伊勢湾台風浸水位標
昭和34年9月26日午後9時頃、名古屋市を襲った伊勢湾台風(15号)は、市域の36%を濁流に巻き込み、1,851人の尊い命を奪い去った。市内に無残な傷跡を残した伊勢湾台風をいつまでも忘れないようにと、浸水位を記録として残したものである。(中川小学校内) 写真左の右隅の金属棒の赤い線のところまで浸水した。

伊勢湾台風は以下のサイトに詳しい
http://www.chunichi.co.jp/saigai/isewan/

善光寺
西山浄土宗。名古屋三弘法の一つとして、善光寺如来の分身を祀ったのが当寺の始まりであり、その後大正5年、現在の善光寺に改称。毎年8月15日の千灯供養には、一千張の提灯がともされ盛況をきわめている。また、境内には東海道の道標があり、「右 前ヶ須桑名、左 名古屋市築地」と刻まれている。

港北公園内の碑
津金文左衛門胤臣頌徳碑
津金文左衛門は、享保12年(1727)に生まれ、寛政3年(1791)熱田奉行兼船奉行となり、熱田前新田約349町歩の広大な新田を開拓した。この功績をたたえ昭和27年12月、この頌徳碑が建てられた。
尾張磁器発祥之地碑
この碑は、津金文左衛門の援助により、新しい製磁法を確立した加藤民吉と父・吉左衛門の功績をたたえ昭和13年、辰巳町の稲荷社に建てられたものである。
築地神社
祭神は素盞鳴命。昭和13年、海の守護神と称される素盞鳴命を勧請した。毎年5月13日に行われる神御衣奉献行列は、熱田神宮の神さまの春夏の衣替えの儀式「御衣祭」にともなうもので、衣をつくる絹と麻を熱田神宮に奉献する行事である。現在では、伊勢神宮と熱田神宮だけにこの古儀が残っている。併祀の出雲社の狛犬が魅力的でした。

辰巳町の稲荷神社
享和元年(1801)熱田前新田が完成すると、津金文左衛門は、各地から農民を募り、耕作に従事させた。新田は、荒子川以西を西ノ割、中川以東を東ノ割、二川の間を中ノ割に区分され、各割毎に氏神を祀った。東ノ割の氏神が稲荷社である。

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