社伝説 「白羽の矢」
むかしむかし、旱魃により稲が枯れそうになったとき、村人は必死で雨乞いをしたが無駄であった。そんなある日、都で有名な武の内宿弥という大将が村をとおりがかり村人から事情をきくと、背中のうつぼから一本の白い羽の矢をとりだして、「これは、世にも珍しい白鷹の羽で作った矢である。これを御神体として水神様を祭るとよいであろう。きっと水を授けて下さる。」といって村人に渡した。早速村人たちは祠を建てて、その矢を祭り、一心に祈った。
すると不思議にも丘のくぼちからきれいな清流が湧き出してきて、村の畑に流れ込んでいった。それ以後、どんなに日照りが続いてもこの水は枯れることがなかったという。村人たちはこの矢を祭った祠を「矢白神社」と呼びいつまでも大切にお祭りいた。その後、村の名もいつのまにか「ヤシロ村」と呼ばれるようになり、現在名東区に残る上社、下社、一社などの地名はこの名前に由来するといわれている。そしてかつての「矢白神社」は現在は「貴船神社」と呼ばれている。 |
貴船神社(西一社)
柴田勝重の居城の一色城趾である。この辺りは、かって農耕地で、水に困る事が多く、雨の神が各地に祀られている。 |
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神蔵寺
東隣の一色城主・柴田勝重によって文亀元年に創建された。以来500年、室町時代から平成の時代へと幾度の災禍を乗り越え、境内には薬師堂があり、木像の薬師如来は等身大で区内最大。 |
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日吉神社
名東区役所の東隣。この地域ではめずらしい日吉系の神社で、旧上社村の鎮守「日吉山王さん」と崇拝され、農工商の恵みの神として神徳あらたかである。猿が守神で、日吉丸の秀吉のご威光かもしれない。広くて大自然が残る神域です。 |
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