上社・藤森などの丘陵地帯は、土地がやせており、耕作地として利用されていたのは、わずかでした。藤が丘は、昭和41年、藤森東部土地区画整理組合の設立から始まりました。まず、名古屋市千種区猪高町大字藤森の中の一部が藤が丘などの新しい町名に変わって誕生しました。
明徳池:緑地は散歩コースで利用され、池は釣り池として賑わっている。
了玄院
藤森城主・小関三五郎の創建で延命子安地蔵菩薩があり、境内墓所には「藤森の行者」「藤森新田の弘法さま」や高針城主・加藤勘三郎、小関三五郎の墓があり、「わにら神」の碑からも古代には猪子石を含め和邇氏の勢力下にあったことがうかがえる。

藤森神明社
藤森一帯の鎮守で、地形からいって藤森城趾とも考えられる。境内には「和袮良以(わにらい)神旧址」とあり、猪子石の和示良(かにら)神社の勢力がうかがえる。

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