慶長19年。家康から清延の三男新四郎長吉に尾張徳川家に属する様申し渡され、尾州茶屋が創設され、側近御用と御服所の経営に従事した。藩から支給された扶持のほか、藩への貸付金の利息が年間500両にのぼり、木曽ヒノキの製材代金3000両などを受領していた。さらに、藩の新田開発への優遇措置から積極的に干拓事業(港区南陽町の茶屋新田)に努めた。