安倍晴明がここに住んで、あまりマムシが多いのを見て、呪法によって封じたり、耕地の雑草に苦しむ農民をみかね、草が生えない様にしたなどの逸話が残されている。少し南には蝮ヶ池という池があった。(現・地下鉄池下駅周辺)
清明神社:千種区清明山

阿部清明
 「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神(しんでんみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。」
 狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになるのです。晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。
 やがて、大唐(だいとう)の白道上人(はくどうしょうにん)から「金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)」を授けられ、天皇の病を治し五位に叙されて、晴明と名乗った。
 安倍晴明が尾張に遣ってきたのには諸説あるが、一説には左遷され住居近くに、菅原道真に準えて天満宮を建立したと言われている。また他の書籍では晴明伝説は後の豊臣秀吉の陰陽師政策によって、もたらされたという説を唱えるものもあるが、定かではない
一説には晴明が上野の地に遣って来た。自分の境遇と同じであった菅原道真を慕って祀ったのが起源とされている。
 安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。

平安時代に陰陽道(おんみょうどう)で宮中の異変に対した超能力者とされている安部清明(あべのせいめい)を祀る神社です。清明の邸宅跡に建てられたといわれる神社には「清明桔梗」と呼ばれる星のマークが境内のいたる所に刻まれているが、これは祈祷呪符(じゅふ)の一つで木、火、土、金、水の五つの気をかたどったものです。万物の除災清浄を表しており西洋でも魔除けの印とされているものです。また本殿の横には清明の念力で湧き出したという霊水「清明水」は悪病難病を治すといわれるなど今でも魔除け厄除けの神社として信仰をあつめています。

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