日泰寺
明治33年にシャム国皇帝から贈られた釈迦の遺骨を奉安するために明治37年に創建された。本尊は、この遺骨とシャム王室寺院伝来の釈尊像。日本で唯一の超宗派の寺院である。寺内の茶室草結庵は県指定文化財の名席。境内周辺には、明治44年ごろ出来たという八十八ヶ所霊場がある。毎月21日の弘法縁日には市がたち賑わう。
写真家:老川良一氏「日泰寺・四季のアルバム」
日泰寺:楼門と五重塔・本堂
 19世紀の発掘により釈尊の実在が立証され、ご遺骨がタイ国王から仏教国などに分与されたとき日本の公使(稲垣満次郎)がこれを見聞し、羨望にたえず日本の仏教徒に対してもその一部を頒与せられんことをタイ国王に懇願し、その結果「タイ国王より日本国民への贈り物」として下賜するとの勅定を受けて、外務省を通じ、直ちに日本の仏教13宗56派の管長は協してタイ国国王の聖意を拝受することに決定し、使節団が明治33年6月バンコク王宮にてチュラロンコーン国王から親しく御真骨を拝受し、帰国後佛骨奉安の寺院を超宗派で建立するとお約束を申し上げたところ完成時のご本尊にとタイ国宝の1000年を経た釈尊金銅佛一躯を下賜された。
 その後候補地を巡り意見が分かれ、調整に難渋した結果、名古屋官民一致の誘致運動が功を奏し名古屋に新寺院の建立が決まり、全市上げての協力により10万坪の土地を用意し、明治37年釈尊を表すモ覚王モを山号とし、日タイの友好を象徴するに日泰寺の寺号をもった覚王山日泰寺が誕生しました。この寺院は成立の性格上日本仏教徒全体の寺院であり、いずれの宗派にも属しない寺院であって、その運営は現在19宗派の管長が3年交代で住職をつとめている。日本で唯一の全仏教寺院として特異な存在である。

四国巡りコース:ひなびた地蔵堂から大小様々な御地蔵様が拝見できます
 本堂下の東側一帯に立ち並ぶ四国八十八箇所の粗末な番札を掲げた小さなお堂のかずかず。いまも毎月21日には境内一円に露店が建ち並び、終日賑わい市民の信仰と憩いの場所となっている。

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