杜の都・仙台に、戦国の都・青葉城跡と古代の国府・多賀城跡をたずねます。
青葉城・多賀城跡
2003年4月30日:杜の都・仙台の朝。ケヤキの新緑が、牛タンと稲庭うどんをいただいた目にまぶしい。
伊達正宗の居城・青葉城跡。今も正宗は城下に睨みを効かしている。ごくろうさま。
多賀城跡」:8世紀前半から10世紀にかけて陸奥国の国府が置かれ、奈良時代には鎮守府も併置されるなど東北地方の中枢的な役割を果たし、陸奥・出羽両国を監督する按察使(あぜち)と呼ばれる上級職も置かれた。
「壺の碑」 江戸初期に発見され、大昔からの歌枕として有名で、千年の記念との対面に芭蕉も涙した。
碑文は、前半には京(平城京)、蝦夷国(えみしのくに)、常陸国(ひたちのくに)、下野国(しもつけのくに)、靺鞨国(まつかつのくに)から多賀城までの距離が記されています。
後半には、多賀城が神亀元年(724)大野朝臣東人(おおののあそんあずまひと)によって設置されたこと、天平宝字6年(762)藤原恵美朝臣朝カリ(ふじわらのえみのあそんあさかり)によって改修されたことが記されています。
また、最後に天平宝字6年12月1日と碑の建立年月日が刻まれています。
なお、「壺の碑」はもう一つあり、1949年に発見された青森県東北町の「日本中央」と彫りこまれた碑がそれです。坂上田村麻呂が刻んだという説がある。

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