2002年5月4日 丹生川の中流域、玉川峡にダム建設計画(国土交通省 近畿地方整備局 紀伊丹生川ダム調査事務所)があることから、その影響を実感したくて「玉川由来記」に記載のある「玉川四十八石」を探しに、娘と東京暮らしの義弟を道案内に出掛けました。あたりは、吉野と山続きの関係か、武市皇子伝説や南朝伝説も残り、楠木正成の軍勢が陣をしき、戦闘の伝承もあり興味をかきたてます。
当然、ダム建設を考える会もあるわけで参考にしてください。

2002年5月16日 国土交通省 近畿地方整備局 河川部河川計画課 発表
 近畿地方整備局は、紀伊丹生川ダム建設事業について、河川整備計画のメニューとして提案しない旨を発表しました。事実上、丹生川ダム建設計画は消滅いたしました。
今後とも九度山町を応援したいと思っています。


玉川四十八石
「玉川由来記」抜粋
「古老曰く 筒香村の流れより九度山村に至る迄七里の間 流れしたたるを田摩川と云う 此の眼目たる処は丹生川村に田摩山と云う山三ケ所有り 此の山より上に丹生明神の社有り是故に丹生の川上の社とも云う 此の田摩川の流れ六七里の間に神遊ばせ給いし鎮座の怪厳石四十八ケ所有り 各石ごとに名有り」とある。
「玉川由来記」は、嘉吉元年(1441)に刀禰左近四郎源家によって書かれ、幾多の写本をへて、河根地区の古老・西保太郎氏の写本のコピーを「玉川ダムを考える会」の野中氏より送付してもらい、今回の資料としました。
 石の説明といっても昔の地名と大きさ程度でおおざっぱな記述です。直感と独断で決めつけました。間違いも多くあると思います。確実に判っている石名をご存知の方はメールでご教授願えればと思います。
  mail:aki@a-namo.com

塩竃の由緒書と塩竃? 降口の民家の軒下に水の欲しい人は「キー」を持っていけ。と書かれている。
河根村字塩の瀬と云う炭酸泉の湧き出る洞窟である。入り口一つで奥で二つに分かれる各二間有り」由緒書きには「いろいろな病に効き目があり、村では塩竃の水を湧かして産湯にし、他町村から汲みに来た」とあります。河原から一寸登ったところに小屋があり、ここと思いきや、義父の記憶とは違うらしい。
赤石(丹石)川中に有り
朝日石 地獄淵に有り,石に番号が大きくペンキで書かれている。何の為?
女夫石 田摩山前に二石
山伏石 同所、長さ四間半
螺石(ほらがい)
静窟石 三尺の岩つぼ有り
烏帽子石 船迫尻にあり
祝詞の石 丹生明神ゆかり
矢頃石 小西の下に有り 亀石 井本氏の庭先、祠には頭があります。南朝の頃、玉川宮と云われた
八丈石(八葉石)神前の川中に有り、土手から生えた若葉の大木の下に見事な名石である
御陵橋の周辺は絶好のキャンプ場です。この日も多くのアウトドアー派が川遊びに興じていました。