高野山は、伽藍と奥之院の両壇を中核に総本山の外、117寺があり、神秘な霊場を形成しています。密教文化の宝庫であり、国指定文化財200件、県指定40件、計4万点を超える文化財が保存されています。
2001年8月 高野山の史跡をめぐります
大門
高野山の総門である大門は、左右に金剛力士像(康意と運長作)が仁王立ちし、お山を守っています。晴れた日には遠く瀬戸内海も眺められます。

金堂
伽藍の中央にあり、高野山の総本堂で、弘仁10年(819年)の創建、現在は7度目の再建で本尊は高村光雲作の薬師如来。

大塔
高さ48.5m。真言密教の根本道場として創建され、高野山全体の中心を成しているのが壇上伽藍。奥之院とともに一大浄域です。


金剛峯寺
高野山真言宗3,600寺の総本山で山上のほぼ中央に位置し、高野山一山の総称でしたが秀吉の母堂供養のため建立した青巌寺の寺号を明治元年に金剛峯寺と改めました。

苅萱堂
苅萱親子一代記の絵物語りが描かれている。石童丸の物語りのお堂で、出家した苅萱道心が庵を結んだところ。
奥之院:弘法大師御廟の入り口、一の橋から奥之院までの1.9Kmの両側には樹齢数百年の老巨杉と20万基を越す墓碑がならぶ。

一の橋
姿見の井戸
力だめしの彌勒石
弘法大師御廟
奥之院最奥にあり、三方を山に囲まれ、その山裾を玉川が流れる静寂の地にあり、大師信仰の中心聖地です。入定前に大師自らがこの地を入定留身の地と定めました。
御廟橋
弘法大師御廟

徳川家霊台
三代将軍家光公が10年の歳月をかけて造営。右側が家康公、左が秀忠公の霊屋になっており、彫刻や金細工を多様した精緻な装飾が施されている。

女人堂
昔、女人禁制だった頃、女性のお籠り堂の役割をはたしていた。明治5年まで女性はここから山内にはいることができず、険しい女人道を経て奥之院参りをしていた。