弘法大師空海
816(弘仁7)年、高野山の地が大師に下付され、地鎮の式が行われました。3年後の819(弘仁10)年、大塔、講堂(金堂)、伽藍を中心とした一帯が「金剛峯寺」と名づけられ、 これが 「真言密教立教開創の宣言」とされています。
真言密教の教えに「身口意の三密」があり、
1 身密:手に印(手を様々な形に組み、仏を象徴する)を結ぶ
2 口密:口に真言(短い呪文)を唱える
3 意密:心を三摩地(精神統一された状態、三昧ともいう)に置く
この3つを一体化すれば即身成仏できると説かれていました。 ゆえにどうしても、瞑想のための地が必要だったのです。
その後、高野山は多くの 優れた弟子達の努力と大師の偉大な御遺徳により、あらゆる人々の信仰を集め、今日の隆盛に至っています。
真言密教を中国から日本に伝来し、土木、建築、医療、教育、学芸など、あらゆる分野に才能を発揮した空海。日本全国の津々浦々に「弘法伝説」や「お大師信仰」を残した空海。さまざまな顔を持つ弘法大師空海とは、いったいどんな人物だったのだろう?
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