桜(作良)は谷または狭を指し、谷間のことをいう。桜田の地も桜で笠寺丘陵の東辺に当たる。江戸時代の絵地図・ 明治二十四年地形図に、幾つかの谷があるのに気付く。
あゆち潟は、万葉集に二首歌われている。一つは、『桜田へたず鳴きわたる 年魚市(あゆち)潟潮干にけらしたず鳴きわたる』
桜田は、桜付近を読んだ歌で、現在楠の大木のある村上社と、近くの八幡社 に歌碑がある。

桜田八幡社:このあたりは、東南に傾斜した高台で、年魚潟に臨み、眺望のよい地形であった。「万葉集」巻三に「桜田へたづ鳴きわたる年魚市潟潮干しにけらをたづ鳴きわたる」の歌に見る景勝地であった。
鳥居と朱塗りの本殿
勝景歌碑
貝塚の碑
台地の縁辺に立地する弥生時代後期から古墳時代にかけての貝塚で、ハマグリ、アサリ、カキ、アカシ等から構成されている。この貝塚は幅約3m、深さ約2.5mの溝及び貝塚から、主として弥生時代後期の土器が多く出土している。その出土品の中でも魚形土器は、全国的にも珍しいもので、名古屋市指定文化財となっている。
神影流・棒の手発祥の碑

村上社のクスノキ:クスノキはクスノキ科の常緑高木で、関東以南から台湾、中国、東南アジアまで広く分布している。この樹木は、根回り約13.2m、地上1.5mの幹回り約10.8m、樹高約20mである。枝張りは、東西、南北ともに約20m、樹齢約千年といわれ、樹勢なを旺盛である。市内ではその巨大さと根張りにおいて屈指のものであり、市天然記念物に指定された。
申し訳程度の鳥居と空一杯の枝
とにかく大きな楠です。もっと自慢しょう
萬葉歌碑:高市黒人
「桜田へ たづなきわたる あゆちがた しほひにけらし たづなきわたる」

この歌は、「万葉集」巻三の「雑歌」の(271)に「桜田部鶴鳴渡年魚市方塩干二家良之鶴鳴渡」と載っている歌である。
意味は、「桜の田の方へ鶴が鳴いて渡っていく。あゆち潟が干いたらしい。鶴が鳴いて渡っていく」というものである。
この歌の「桜」も「年魚市潟」も、現在の名古屋市南区内にある地名で、尾張で詠まれた歌として異論のないところである。