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今に残る塩付街道は、富部神社南の坂道を登り−<旧東海 道を横断>−桜神明社−東宝寺西−鳥栖神明社西−外山水路の塩付橋−<瑞穂区に入り>−瑞穂 公園−昭和区石仏(いしぼとけ)町−川名町−東区出来町へ出る。途中に汐路町 (しおじちょう、瑞穂区)、塩付通(昭和区)の地名が残る。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
江戸時代、南野・牛毛・荒井・戸部・山崎・笠寺・本地を星崎七カ村と呼んだ 。中世から近世にかけてここの星崎塩浜で塩がつくられた。この塩は各村々にあ る塩倉へ集められ、馬の瀬にのせられて尾張、美濃、信州信州の各地へ送られた 。この道が塩付街道である。 起点は明らかではないが、松池町3丁目あたりに高い塩倉が残っていた。 |
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