今ではサンシャインビルに代表される豊島区池袋ですが昔風に言えば、巣鴨在の雑司ヶ谷と言う田舎で我がふるさとです。
太田道灌の時代は山吹の里と言われ「七重八重、花は咲けども山吹の、蓑一つだになきぞ哀しき」と雨乞いにみのを借りにきた道灌にお盆の上に山吹を捧げた故事によります。
わが町「池袋の話をしよう」 第1稿・雑司ヶ谷あたりの話
サンシャインをバックに都営荒川線(早稲田ー三ノ輪)、東京で唯一の路面電車です

豊島区東池袋ですがその昔、巣鴨在の牛込でした。ここに根津山という小高い丘陵があり江戸時代のお狩り場だったのでしょう。太田道灌の故事にある様な場所です。明治天皇が野立てをされたと思います。側には牛込高女(現 豊島岡女学院)とサンシャインビル(巣鴨プリズン)があり、十二分に原野だったのです。現在は飲み屋の片隅に追いやられてます。戦後はパンパンの稼ぎ場で朝にはゴム製品が転がってました。

鬼子母神神社(鬼が人の子を食べていたのを神が戒めに子隠しする。鬼が改心してそれからは子供を大切にしたと、そんな由来のある神社です)、昔はガキの遊び場で地域が活性化されて隣近所のつきあいも無い現在寂しい所になっている。

サンシャインが美しい雑司ヶ谷です。此処に墓地があり、近くには五代将軍綱吉の母堂を祭った護国寺があり、隣が菊のご紋の墓地、豊島が岡がある。有名人では泉鏡花や夢二の墓があります。音羽幼稚園・ハルナちゃん事件の立地です。

墓地区画外の雑草もそれなりの風情があります。

泉鏡花の墓
大川橋蔵の墓
竹久夢二の墓
江戸中期以降、御鷹部屋があり、7〜80名が鷹の飼育・訓練に励んだ。