<東海道>日永の追分と庄野宿   平成14年2月5日
日永の追分は桑名の七里の渡しより大阪に向かって、ここで伊勢街道と分かれる。東海道を進むが、お伊勢さんに参拝しない人のために、ここに神宮遥拝鳥居が立てられた。

ちょうど四日市宿と石薬師宿の間にあって「間の宿」と言われ、この鳥居を中心に旅籠や茶店があった。今は四日市市

この鳥居は伊勢神宮式年遷宮の20年ごとに神宮の古材を使って立て替えられることとなっていた。現在の鳥居は昭和50年製。

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庄野宿は広重のこの浮世絵で有名。東海道53次の45番目の宿 <鈴鹿市内>
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庄野宿資料館には本陣前そばにあった高札場に掲げてあった、人馬賃銭の規定、人倫の奨励ほかの高札の実物が展示されている。
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古地図と「焼米」 焼米は江戸時代初期よりの庄野の名物、焼いたこめを小さな俵に詰めて売った。明治以降は旅人が減って廃れた。東海道はこれより先亀山、関をすぎ鈴鹿越えとなる。

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