西枇杷島町・問屋記念館と瑞正寺   平成13年10月20日
この地は慶長年間徳川家康の命をうけて青物市問屋が開かれ、その後問屋は小田井の市又は枇杷島市場ともいわれ、江戸の千住、大阪の天満と並び日本三大市場に数えられた。この記念館は青物問屋の山田家の家屋を譲り受けてつくられた。

またこの地は江戸時代東海道と中山道を結ぶ脇街道の美濃路の要衝であり、枇杷島橋、岩倉街道との交差点であった。

 

tonya050.jpg (23003 バイト)
tonya039.jpg (21990 バイト) tonya049.jpg (23660 バイト)
tonya044.jpg (24621 バイト) tonya045.jpg (16229 バイト)
tonya037.jpg (10749 バイト) nishibi035.jpg (10714 バイト) nishibi038.jpg (8294 バイト) minoji051.jpg (9452 バイト)
尾張名所図繪より 北 いわくら 東 にしはつしま 現在の美濃路
瑞正寺は江戸時代処刑場が近くにあったため最後の引導を渡す寺として、日本一の宝塔も残されている。

高さ4.5m、伊豆の小松原で切り出され、8年の辛苦を経て完成した。

zuishoji053.jpg (9606 バイト) zuishoji056.jpg (7660 バイト)

JINさんの街角ウォッチングトップページへ