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大物主大神(おおものぬしのおおかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ) 当神社に祀る神、三輪の神、大物主神について、文献で最初に記述されるのは、 我が国最古の歴史書、『古事記』の上巻にあります。 それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神がなくなられ、 独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を光(てら)して依り来る神」が あった。その神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、大国主神は「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と問うたところ、その神は、「自分を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎きまつれ」と希望した。その後に、「こは御諸(みもろ)の山の上に坐す神なり」と記されています。 つまり大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山にお祭りした神が、 三輪の神であり、これが大神神社ということであります。続いて、同じ『古事記』中巻の 神武天皇段に至って、三輪の神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」であることが記されます。 久延毘古命 |
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