天理教の教祖「中山みき」は、寛政10年(1798)大和国山辺郡三昧田に生まれました。天保9年(1838)41歳の時、親神の啓示に従って、天理経を宣言、親神のやしろと定まりました。以後、数々の迫害干渉を経て、布教に励み今日の規模となる。
2003年1月正月の途中下車・天理教本部
2002年12月31日:仰々しい建築物の天理教本部。周辺の建築物を含め、これは天理教様式と云える建造物。大晦日のため心無しか人出は少ない。中に入ってみたが信者の手踊りとお題目は子供のはしゃぎ声にかき消され、なんだか不思議にみえました。
天理駅から続く商店街。昼食のうどんが何ともおいしく、奈良漬けは絶品です。懐かしの郵便ポスト発見。
名阪国道福住ICで降り、天理市までの道のりに天理ダムがあり、文字どおり天理市民の水瓶で、結構なスケールで驚きます。