粉河寺は光仁天皇の宝亀元年(770)に鎌垣荘の大伴孔子古(おおとものくしこ)のによって創建された。平安時代に、貴族等の間で「聖の住所」として信仰され、武士の時代でも観音霊験への信仰厚く衆庶の寺として隆盛を極めた。西国三十三所第三番の札所の名刹である。
2003年1月正月の途中下車・粉河寺へ初もうで
2003年1月2日:粉河寺は和歌山県那賀郡粉河町にあり、紀州三大札所の名刹です。まず、大門の阿吽像の巨大さをアピールします。煙草替りの娘で比較できます。
粉河寺中門:大門・本堂の雄大さに比べると、実に優美である。天保3年(1832)の再建で四天王(持国天・増長天・広目天・多門天)をまつり、十代藩主徳川治宝の真筆「風猛山」の扁額がある。
一年の願いを込めて鐘を突き、粉河産土神社でふるまいの甘酒で体を温めました。