神武天皇の東遷の終点である吉野山の山上ケ岳は修験道の聖地で、天武天皇の大計の地、はたまた義経と静御前との惜別の地、南朝哀史とあいまった桜の名所は豊臣秀吉の馬鹿茶会でおおさわぎ。
日本の歴史の節目に必ず登場する不思議の地です。
2002年10月奈良県吉野
吉野神社:祭神は後醍醐天皇。これだけでも背筋に寒いものが感じられます。建武中興の功臣も祀られています。
吉野山眺望:蔵王堂を望む
吉野山には駐車場がなく、やむなく遠景となりました。仁王門・蔵王堂は金峰山寺の本堂で、修験の開祖「役の小角」を祀る、文字どおり聖地である。奈良の大仏の余った銅で聖武天皇がこさえた「銅の鳥居」や南朝の吉野離宮など、見るべきものがたくさん有ります。真に残念ですが次回にゆずります。

如意輪寺:建武中興の悲劇のヒーロー、楠木正行公ゆかりの寺で、正平二年(1347)12月:四条畷決戦におもむく正行と一族郎党143人が吉野の皇居に天皇に今生の別れを告げ、先帝・後醍醐天皇の御陵に参拝の後、御堂の扉に鏃で辞世の歌を残し決戦に向かったが、衆寡敵せず足利武将・高師直に敗れた。
宝物殿に残された正行公の辞世の歌
かえらじと かねておもえば梓弓
  なき数に入る 名をぞとどむる」
無念の後醍醐天皇陵 小判井戸は枯れたことがない