山の辺の道付近には数多くの古墳が点在している。 このあたりからは二上山を遠景にした大和国中(やまとくんなか)(奈良盆地)の眺めはすばらしく、最も山の辺らしい風景を見せてくれる。
2002年6月の途中下車:山辺の道の古墳群
箸墓・倭迹迹日百襲姫尊命陵(ヤマト トトヒ モモソヒメ)
箸墓古墳は3世紀中〜後期の築造であると考えられ、邪馬台国畿内説では女王・卑弥呼の墓との説で特に有名です。
卑弥呼は西暦248年没とされているので年代的にも会い、いわゆる「前方後円墳」と言われる古墳の中では最古式の一つであると考えられています。墳長278mで、大きさでは全国で10番目、奈良県下では3番目の規模の大きな古墳です。
また、この古墳は宮内庁管理の「大市墓」として陵墓伝説地に比定されているため、今は一般の人は立ち入り出来なくなっています。
景行天皇陵
日本武尊(やまとたけるのみこと)の父と伝えられる第12代景行天皇陵は全長300mの巨大な前方後円墳である。景行天皇は即位して11年後、ここ纏向(まきむく)に日代宮(ひしろのみや)を造ったといわれています。
崇神天皇陵、行燈山(あんどんやま)古墳
第10代天皇、崇神(すじん)天皇の陵とされている。その陵は4世紀半ばに作られ、前期古墳を代表する前方後円墳で全長約240m、「古事記」には山辺の道の勾(まがり)の岡の上にあると書かれてあるが、「勾の岡の上」というイメージの地形ではなく平地にある。記紀に記されている初国(はつくに)知らしし御真木天皇(みまきすめらみこと)、実在した最初の天皇だろうとされるのだが、ほんとの所はよくわからない。
歴代天皇の諡号(おくりな)に神の文字が使用されたのは三人しかいない。
初代神武天皇
(カムヤマトイワレヒコ)
10代崇神天皇
(ミマキイリヒコイニエ)
15代応神天皇
(ホムタワケ)
(母:神功皇后・
オキナガタラシヒメ
)
その影響力がはかれよう。
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